2012年8月26日日曜日

日本が悪くなり始めたのって小選挙区制になってからじゃね?

国会議員はもう要らない、どんどん数を減らせ!という声の多い昨今ですが。
自分は結構、こういう動きは恐ろしいなあ、なんて思いながらニュースを眺めています。

国会議員は悪いことして、利権にまみれて、ワイロもらってウハウハ、みたいな話をよく聞きますが、これは簡単に言えば、いわゆるステレオタイプに過ぎないと思うのです。
もちろん、そういうことをしていた悪い人もいたかもしれませんが、実際、そういうことをしていたら、あっという間にマスコミの餌食になって選挙に落選するわけで、そうでなくても、彼らはこの選挙を控えている身であるから、有権者の皆様の顔色を伺って票をもらわないと生活や組織を維持できない立場でもあり、この暑い夏の日にも地元を回って、お祭りで次々に知らない相手に名刺を配って、政治好きのおじさんやおばさんの色々な話を聞いて回っているのが日常なのです。

彼らは、もともと仕事もできる人が多いです。そもそも弁護士であったり、一流企業の社員や、あるいは役人でやっていける、そんな人が政治家を目指しています。
それを何故やるのかと言えば、その理由は人それぞれでしょうけど、一種の使命感を持っているのは間違いはないとは思われるわけですね。

その彼らが最も恐れること・・・それは、選挙に落ちて「ただの人」になってしまうことです。
ただの人と言っても、それだけの偉い人だった人を雇用する人がいるわけでもなく、ほとんどは生活の糧を得られなくなるような状態にもなるわけで、それは絶対に避けなければいけない、そんな感じなわけです。
そうならないためにはどうしないといけないかというと、結局、選挙に落ちないように、有権者との関係を強化して、選挙のときに負けないように、日々政治活動するということになるわけです。

政治家というのは、結局なにをやってるのかというと、簡単に言うと、三権分立の司法、立法、行政のうち、立法府、つまり法律を作るのが仕事なわけですが、そこには行政を監視するという仕事が含まれるわけです。例えば、税金をちゃんと無駄なく使っているか?とかですね。

行政ってなんでしょう?行政とは、国家そのものから、司法と立法の部分を取り除いたすべてです。ここには、宇宙開発から近所のゴミ清掃までが含まれるわけです。

そして、その仕事を執り行っているのが役人というわけですが、彼らは国民から税金を取って、色々な仕事をするわけなんですが、結局、自分の仕事を安定化させるためには、ひとつは自分の仕事が奪われないようにすること、ふたつは税金をきちんと取って給料をとりっぱぐれないようにすること、が自己保身のために必要なはずなんですよ。

結果、自分の生活が誰しも第一になるから、役所の人は一般民に対しては暴走しがちなんですよ。役人が一般国民を愛していても特に得になることは少ないですから。
特に警察官などは、犯罪を起こしている人を逮捕することだってありますし、それが習い性になって上から目線になるのはしょうがないことなのです。
常に相手にへりくだっていては万引きの現行犯を逮捕するとか、無灯火で走っている自転車泥棒のような人を呼び止めることもできなくなるわけです。

また役人(公務員)は、公務員試験を受けて公務員になります。つまり、普通の人より事務処理能力が高い人をペーパーテストで選抜して公務員を選ぶわけですが、面接をするにしろ、IQは計れても、人間性を見ているわけではありません。むしろ、ライバルよりも点数の高くなるよう競争してきた人が公務員になりやすいという一般論が成り立ちそうな感じなわけです。
ですから、結局、行政というものは暴走しないように監視しておかないといけない。だから、行政の方向性というやつを決める権限というのは、選挙で選ばれた人にやらせようね、という発想になったわけです。

さて自分が日本がおかしくなりはじめたのは、小沢一郎さんが提唱した「小選挙区制」が日本に導入された頃からじゃないだろうかと思うのですよね。
・・バブルの頃までは、隆盛を誇ったわが日本国。

その頃は「政官財の鉄のトライアングル」と呼ばれていて、これが悪いことなのである、というマスコミ報道がとても沢山されていました。
でもそれがトライアングルならいいと思うのですよ。人々の声は国会議員を通じて政府を動かすことができたわけですから。

ところが衆議院の選挙制度が小選挙区制になってどうなったかというと、その特性ゆえ、死票が増えたんです。
そして一般の人たちの声(簡単に言うと、一般民がこういう法律、あるいは税制にして欲しい、という声)が届きづらくなったと思うんですよ。

どういうことかというと、小選挙区制とそれまでに行われていた中選挙区制の違いは、ひとつの選挙区から何人の議員を出すかというところが違うのですが、小選挙区制では、ひとつの選挙区から1名だけ、中選挙区制からは、複数名の議員が当選します。

そうすると世の中はどうなるかというと、何かの拍子に国会議員が落ちやすくなるんですよ。

たいていの場合、どこの選挙区も、法案や税制に関しては、A案B案で意見が分裂しているわけです。

さて例えば3人の議員が生まれる地域があったとしましょう。ここでは小選挙区制の場合、3つの選挙区がここに存在して、それぞれ一人ずつ当選することになり、中選挙区制の場合は1つの選挙区から3人が当選すると仮定しましょう。

そうすると、A案B案で意見が分裂している場合で、選挙区の人たちの考えがA(2):B(1)でB案にしたいと思う人たちが劣勢だったとしましょう。
これで選挙をすると、小選挙区制の場合は、各々の選挙区でA案の人たちが過半数を取るのでA案を採用する議員が3人になります。
一方、中選挙区制の場合は、A案を採用する議員が2人、B案を採用する議員が1人となります。つまり、小選挙区制を採用することで、国会でも少数者の意見を代弁する人が減ってしまうということが起きるわけです。

さて、もうひとつの問題点ですが、その前提として、この国の問題点は、マスコミを押さえている企業が非常に少ないということであって、テレビ局でもキー局がいくつかしかないということです。
すべてのテレビやマスコミをいくつかのメジャーなマスコミが押さえているということは、国民の価値観に多様性がなくなり、少ない数の価値観に一般の人たちがまとまりやすくなるということを意味します。

この状況で小選挙区制を採用すると、例えば今回、C案とD案が拮抗していたとき、そのテレビのスポンサーたる大企業や許認可権(その気になれば免許を剥奪できる)を持つ役所の言うことを聞きやすいマスコミが、例えば今度はC案がいい、例えばTPP賛成!とか郵政民営化を進めよう!と言った場合、すべての選挙区において、C案が有利になり、D案は潰されてしまうことになります。

他にも、「刺客」と呼ばれる作戦があります。まず選挙に出ている現職の国会議員にとっては、自分の議席を奪われるのが何よりもいやなことなのです。

だから、政治的に大企業とか社会において自分に有利な法律を欲しいと思う有力者がいて、お金持ちだったりした場合は、気に入らない政策や信条を持っている議員には、有力な若い人をぶつけて落選させようという戦術が有効になるわけです。そして、マスコミはおもしろおかしくその選挙区を煽る。そして風が起こる。ひょっとしたら、有力な大企業は刺客になる人に選挙資金を融通するかもしれない。

刺客をぶつけられる方の議員にしてみれば、そういうことをされるのがイヤだから、それだけの能力のある有力者の言うことは聞くようになるわけ。
逆に協力するようになれば、刺客をぶつけられないようにできるし、あるいは資金的な支援を得られるようにもなるわけですからね。

これは、中選挙区制では起こりづらいことなんですよ。この制度の場合、刺客を立てても気に入らないやつだけ「刺す」ことはできないし、ある程度、世の中に「こうあって欲しい」という意見をまとめれば、相対的にその議員が選挙に弱くても議席を確保することは可能であったりするからです。

こうして、小選挙区制では、議員が議員で居続ける時間は短くなりやすく、またそのために政治家を続けることで長く政治の場に留まり、勉強をして行政を監視するという能力を積み重ねていくことができなくなるわけです。もちろん、有力者の子飼になれば、長く続けることもできるかもしれませんが・・。いずれにしろ、社会のトップ層に富や権力が集中する結果になるでしょう。

衆議院が小選挙区制になってから、派遣労働に関する法律やら、金融に関する法律やら、大店法の廃止などの規制緩和、あるいは金融に関する規制緩和、公共事業の削減などなどの動きを見ると、格差が広がるのも当たり前のような気がしますね。反対者は一掃されつつあり、今後もそうあり続けるでしょう。

さらに言えば、有力議員を倒した1年生議員も、その地域で政治活動をしている時間が短くなるぶん、選挙区の後援会などの地盤が弱いままですから、都合が悪ければ、また別の若者に入れ替えされやすくなる。

こんな流れ故、ほんの20年前は「政官財の鉄のトライアングル」だったものが、今は、「官と財の鉄の壁」の時代になったのかもしれません。

※ちょっと文のおかしいとこ、直しました。

衆院定数半減、歳費3割カット=「八策」に明記へ-大阪維新の会

 地域政党「大阪維新の会」(代表・橋下徹大阪市長)は26日までに、次期衆院選向け公約「維新八策」で、衆院の定数(現行480)を半減させるとともに、国会議員歳費と政党交付金をそれぞれ3割カットすることを明記する方針を固めた。衆院定数削減などの方向性は既に打ち出していたが、数値目標を掲げることで、より具体性を持たせることが必要と判断した。
 同会は7月にまとめた維新八策の改訂版で、国・地方の在り方として「道州制が最終形」との考えを示している。道州制の導入で地方分権が進めば、国の役割は外交・防衛などの分野に限られるため、衆院議員を現行の半分に減らしても対応可能とみて、新たに盛り込むことにした。 
 橋下市長は同日、松山市で開かれた会合の中村時広愛媛県知事との対談で「国会議員を480から240に半減するということをしっかり打ち出していく」と述べた。

2012年8月19日日曜日

2012年夏 ~ そしてお盆休み(世間の雰囲気をつれづれに)

零式艦上戦闘機
お盆休みというのは、日本人の習慣で、先祖の霊が戻ってくるから休みましょう、とかいう話でありまして。
結局、みんなが休むから仕事の効率も落ちるし、そんなら仕事してもしょうがないよね、的にどこも休みになるわけで。

もっとも、この1年で最も暑くなる時期に、わざわざ混み合った仕事をする必要もないわけで、たまに家族と会って話をしたりするには、良い機会でもある。

8月15日、終戦記念日でもあるので、お墓参り代わりにお寺に参拝し、その後、靖国神社に行ってみた。

靖国神社では、この国で行われている学校教育にある「日本は負けて反省しないといけない」とか「君が代には反対する先生が起立しない」とかで小学校の頃に受けた教育の記憶とは全く違う雰囲気がある。

「日本は正しかった史観」がそこにあって、ここに集う多くの人たちは、「国のために亡くなった方々を供養しよう」「この国を守ろう」的な熱気で溢れている。

まるで別世界にいるようだ。

ここにはヤクザっぽい右翼の皆さんもいるけれど、本当に家族を戦争で失った遺族の人たち、政治家とその支持者、外人さん、あと日本兵のコスプレ(?)をして、気さくに人々と話をするおじいちゃん達もいて、実にお茶目で、そのキャラクターは実に魅力的だ。

ここには参拝のための神社という施設のほか、遊就館という、近代日本の戦争に関する文物をキュレートした記念館がある。
 
日本がアジアの中で独立と自尊のために死にものぐるいで戦った記憶が整理されている。日本人が力強く団結した記録や、「侍」の雰囲気を継承した数々の武器や文書、その他様々な貴重な物品、例えば戦闘機である零戦などが展示してある。
そこには、多くの人たちが生死をかけて戦った記憶があって、実に生々しい。

ここに来ると、戦いに明け暮れた中の圧倒的な人間ドラマがそこにあることがわかる。

色々なエピソードもどこか聞いたことがある。子供の頃から観ていた宇宙戦艦ヤマトも、ガンダムも、マクロスも、結局、太平洋戦争の記憶、あるいはそのエピソードのエッセンスを戯画化したようにも感じる。

その中心にあるのは、自分の身を挺して、国を守って亡くなった人たちの記憶の数々だろう。

さて2012年8月現在、福島で起きた原子力発電所が爆発したという、あの事故の収束点はまだ見えていない。

その影響で、ここ最近にも、社会的には色々なことが起きた。

6月頃から脱原発に関するデモが永田町で行われ、実数はわからないけど数万人が集まり、ネットでは「紫陽花革命」と言われたが、あまりマスコミでは報道されなかった。

為政者層に対するデモや活動というのは、別に脱原発に限らず、永田町あたりでは活動家はいつもデモを前からやっていたけど、この6~7月からの流れに違いがあるとすれば、その普段だったら「デモね、ふーん」とスルーするような人たちが、それに参加するようになったのが大きいと思う。

そんな中、消費税は8%、10%と段階を追って増税することが決まった。社会保障の維持のためには必要だと言って、それを世間の人は納得しているように見える。

で、その法案が参議院を通過したその日に、竹島に韓国のイ・ミョンバク大統領がやってきて騒ぎになり、人々は、消費税増税のことについてはあまり何も言わなくなっているように思う。

ここのところ、なんか急に竹島とか尖閣諸島とか、領土問題に関するニュースが増えたのを見ていると、「なんかの目くらまし?」かと思ってしまう。自分には、怒りのエネルギーの矛先をかわすため、日韓の偉い人たちが起こしたプロレス劇場のような感じもする。

逆にこういうことで一般の人たちが焚き付けられて、来年あるだろう総選挙にも、割と強硬的な人たちに権力が渡る原因になるのかな?という感じもあって、その辺考えると、そら恐ろしい感じもする。

で、日本の歴史をざっと眺めると、ひとつの共通点があるような気がする。

それは「偉い人が誰だか判らなくて、結局誰も責任を取らない」ということであって、太平洋戦争では、作戦に失敗した参謀のクビを切ることがなかった。例えば東条さんは、当時、実は人格者と言われていたけれど、戦争という人の命をやり取りする状況であっても、作戦に不具合があっても「あいつの立場が悪くなるから」とか「あいつの顔を潰すから」という理由で冷徹になりきれなかったという話もある。

他にも、アメリカと戦争が始まるときにも「勝つことを前提としてしない」戦いに向かったりしたということもある。(山本五十六大将の「1年から1年半は暴れて見せる」の言とか。)

結果、現場の人たちはものすごく戦ったけれど、それでおしまい。で、A級B級戦犯も、東京裁判という、連合国による茶番の裁判の犠牲になった立派な人たちだったと反論されて、結局、誰が悪かったのかもわからなくなった。

そして今、結局、原発事故の原因って究明されたのだろうか?
福一では、冷却用ディーゼル発電装置が津波の海水をかぶって機能停止してメルトダウン、というのが原因だったと思うのだけど、その経緯やその指揮命令系統がどうだったのかは未だに明らかにされていない。

反原発を言えば、理系的な知識のないやつのバカの発言とか、結局、日本でエネルギーにおける自立のためにはしょうがなかった、とか、デモがあれば「あいつは○○の組織のスパイだ」とかで分裂したり、なんかまったく方向性の違う話になってしまうのが、ちょっと残念な感じ。

戦前の「非国民」とかいって戦争に協力させたピアープレッシャーのやり方、今も変わっていないような。

今、原発で働く作業員の人と、戦争で散華した人たちがどうもかぶるんだよね。


BEGIN - 君を見ている

2012年8月12日日曜日

FizzBuzz 問題どや顔で解くひとなんかよりも "KEN_ALL.csv" をうまく扱える人の方が社会的貢献度高い

 仕事でデータベースを作っていると、住所情報作成にあたって、必ずぶつかるのがこのデータ、KEN_ALL.csv(全国の郵便番号データ)です。結構、日本は広くて件数もいっぱいあります。(12万件ぐらい)

ネット界隈で、仕事のできる人は「なんじゃこのデータは!」と色々disっておられるのですが、その昔、自分は、ちゃんとcsvになってインターネットでダウンロードできるだけで「すごい時代になったものだ」と思ったものです。

ただその後、PC-9801時代から進歩はしていないようです。残念。

その昔、LZHっていうアーカイバがすごい!とか言って、よく使ってました。(LHAですよね^^;)
あと最初、zipは舶来だったので、Windowsで標準機能として採用されるまで、なんか近寄りがたかった。

FizzBuzz問題というのは、要するに3の倍数と5の倍数だけアホになります、という話のようです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/352382
理系の人たちが、「データの質が悪い」とdisっておられるw うん。その通りです。

http://d.hatena.ne.jp/at_yasu/20090115
整理されたメモ書き。

郵便番号データのダウンロード - zipcloud
http://zipcloud.ibsnet.co.jp/
便利そう。

国民所得と物価指数

 
ネットを探すとほかにも同様な図があったが,どれも出典は不明である。
Okumura's Blog: 一人当たり国民所得のグラフ

グラフで見るとすぐ信じちゃうけど、本当のところ、どうなんだろ?

ただ言えるのは、バブル崩壊以降、日本が停滞しているのは間違いない、ってことかなぁ。

それにしても、Tumblrの方にUPしようと思ったのだけど、うまくいかなかった。なんでだろう。

2012年8月2日木曜日

楽天koboってどう思う?

楽天のkobo

まあ、koboっていうより、楽天という会社のことなのだけど。

この前、ある書店に行ったら、ニコニコしたお兄さんとお姉さんがいて、「楽天コボ」なる読書リーダーを売ることになったということで、デモをしていた。
 自分は本を読むのは嫌いではないし、値段は7980円っていう価格だから、最初、へ~、買ってもいいかな?と思ったのだった。

しかし、実際に色々とネットで調べてみると、最初に不具合が色々あったり、店が充実してなかったり、ミキタニさんが、不具合はあっても最初の対応ちゃんとしたから大したことない的なコメントがあったりとかしていたようで、それより素早く対応できて良かった的な話をしたらしい。

まあでも、こういうデバイスっていうのは、いわゆるネットユーザーが使うのだろうから、ちょっと対応をしくじったかな、と思えなくもない。
何せ、これから、あのアマゾンのキンドルっていうやつと競合しようというわけだから、相当にがんばらないとダメっぽい感じもする感じである。
だいたいKoboを買おうっていう層は、当然キンドルのことも知っているだろうからね。

自分はアマゾンも楽天も、別に大好きっていうほどではないけど、結構利用している。

で、楽天について、「こんな商品出して、キンドルに勝てるんかいな?」と思っているところです。

ミキタニさんは、自分のことをジェフ・ベソスの日本版ぐらいに思っているのかなーと思うのだけど、楽天とアマゾンのイメージって、あくまで個人的なイメージの中では、結構違う。

アマゾンは、スタート当初、やはり書店から出発しているだけあって、洋書→和書→その他の商品、っていう感じで商売が広がってきているイメージ。だから、本を買うときはアマゾンで検索して買うっていう習慣がついてしまっている。(ちなみに書店で買うのも好きだけど)

自分が楽天を使うのは、お中元とかを買うとき、あるいはアマゾンにいい商品がないときに一応検索してみるっていう感じで使っている。
楽天のビジネスモデルっていうのは、一般の小売商店を、楽天という「市場」で出店できるようにする、っていうものだろうだから、書店からひとつの巨大なデパートになったのがアマゾンで、楽天は、やはり商店街的なイメージがあった。

つまり楽天にはドメスティックなイメージ、つまり日本の文化というか、地域的な商品を買うにはいいかな、と思っていたわけなんだけど、ここのところ、ミキタニさんは、割とアマゾンの戦略をおっかけているのかな?っていう感じであって、社内英語化だの、koboリーダーだのっていう話をするようになってるように感じる。

まあ別にいいのだけど、なんか御社はそっちの方向性じゃないんじゃないの?って感じもする。

楽天に関しては、自分にはすごい昭和なイメージがあって、強力なリーダーが「やるぞ!がんばるぞ!」的な感じで、いわゆる昭和なサラリーマンがプログラム書いてるって感じがする。高い技術力も、あるのかなーっていう感じ。実際、koboもカナダかどっかから買収したものでしょ。
自前で作ったモノじゃないよね。

実際、新しいデバイスとか使って新しいビジネスモデルの商売をしようとするなら、まず、その企業文化っていうものから派生するか、あるいは脱皮した方がいいような気もするのだけど。

まあ、楽天ではグーグルのような美しい遊び場のような洒落たオフィスでエンジニアの皆様がクリエイティブな世界に生きておられる、っていう、ああいう「こっちの水は甘いですよ」的な職場を作るところには、たぶん行き着けないと思う。
少なくとも楽天で働くことが、そんなにエンジニア的に楽しそうかっていうと、なんかそういう感じはない。まあ、今自分、プログラムを書く商売はいたしておりませんが。

あくまで、アメリカで流行ったもの、流行りそうなものをいち早く先取りして、気合いと根性で日本のサラリーマンががんばる、的な。それが楽天の僕が持つイメージ。

それも、ひょっとしたら実は戦略的にアリなのかもしれないのだけど、なんか表面上だけ西海岸文化を取り入れて、Tシャツにこだわって仕事しようとしていたら、逆におなかの肉とアロガントさばかりが目立ってしまって、最後、モヒカンになってしまった「ホリエモン」さんに似たようなオーラを感じてしまうのでありました。

中途半端に向こうの文化を取り入れるよりは、日本国内の文化っていうか、地域社会みたいなところには、米国文化にも負けない、とてもいいものって色々あると思うんだけどね。

だって商品が持つオーラっていうか、バックグラウンドにある哲学的なものに関して言えば、 やっぱり本家にはかなわないもの。

本屋が読書リーダーを作るっていうのはわかりやすいけど、先にそういうマーケットがありそうだからって、商店街の売る力で市場を先取りしようっていうのとでは、やっぱ専門家が自ら考えた商品と、あくまでマネっていうかパチモノの品の差があるように思っちゃうんだよね。