2014年1月22日水曜日

人生どうする?

「チェシャにゃんこちゃん」とアリスは、ちょっとおずおずときりだしました。そういうよび名を気に入ってくれるかどうか、さっぱりわからなかったからです。でも、ねこはニヤニヤ笑いをもっとニッタリさせただけでした。「わーい、いまのところきげんがいいみたい」とアリスは思って、先をつづけました。「おねがい、教えてちょうだい、あたしはここからどっちへいったらいいのかしら」

「それはかなり、あんたがどこへいきたいかによるなあ」とねこ。

「どこでもいいんですけど――」とアリス。

「ならどっちへいってもかんけいないじゃん」とねこ。

不思議の国のアリス
Alice's Adventures in Wonderland
ルイス・キャロル 著


 ちまたでよくきく言葉なのだけど、「オレ、この後どうなるんだろう」みたいなこと、よく言う人がいる。っていうか、自分も昔、よく言っていた。

でも、ある日思ったんだよね、未来はどうなるんだろうと思っていても、自分で動かない限り何かに流されてしまって、ただ人生、人のいいように流され続けるだけというか。

だから、自分で決めないといけないのだよね。
 世間には他人の生き方について、あれこれ講釈をたれる人がいっぱいいるのだけど、結局は自分で考えて自分で決めないと、やっぱりどこか納得できないものになってしまうはず。

ただ自分で決めるというプロセス、自分のものの考え方って、自分ですべて思いついたように思っていても、実は昔一緒にいた人の行動をコピーしていたり、本を読んだりしてその言葉が影響していたり、外部から吸収されたものが深層意識に沈んでいて、それが「なんとなく」今の行動を指示していたりする。

とにかく、自分がその行動を何となく選ぶとき、それがいったいどこから来たのだろうか?って考えてみるのは、とてもおもしろい。

嫌いな人への反発っていうのはすごくあると思うのだけど、反面、その嫌いな人と同じようなことをしてないか、あるいはそのせいで本当にやりたいことが何となく億劫になってできなかったりしないだろうか?
でもそれは、単に大した手間ではないけれど、恐怖心の刷り込みみたいなもののせいでできないのかもしれないよ。
ならば、それは克服すればとても気持ちのいいことかもしれない。

とにかく、自分自身が何で今それを選んでいるかということを、ちょっと一回自分でおさらいしてみて、何か澱んだ感じがしたら、それはおそらく克服するべきものじゃないかと思ったのよね。

で、「こうしたい」って決める、みたいな。

まとまりませんが。

2014年1月19日日曜日

IT、SNSで人は幸せになれるだろうか

 


 プラトンの『パイドン』ーーー(中略)ーーーには、エジプトでのプロメテウスとの同格神であるトート神についての、愛すべき神話がある。古いエジプト人の言いかただと、書いたことばを指す用語は、文字どおりには、”神々のことば“である。トートが、文字を書くという彼の発明に関して、タムス神と議論している。タムスはアモンとも呼ばれているが、この神々の王はトートに、左のように文句をつけている。
 このおまえの発見は、学ぶ者の心に忘れやすさを作り出してしまうであろう。なぜなら彼らは、自分の記憶を用いなくなるであろうから。彼らは外部なる書かれた文字を信頼し、彼ら自身で思い出さなくなるであろう。おまえが発見した特効物は、記憶のではなしに回想の助けであり、おまえは弟子どもに真実ではなく、真実の類似物を与えるに過ぎない。彼らは多くのことを聞く者となるであろうが、何事も学ばないであろう。彼らは博識のようにみえるが一般に何ごとも知らないであろう。彼らはうんざりさせられる仲間となり真実のない知恵をひけらかすことになるであろう。

「エデンの恐竜」 第8章 脳の未来の進化(カール・セーガン著)

人々の社会の発展によって、ついに人類は、インターネットという、世界の情報をほぼ一瞬で手に入れるという革命的な道具を手に入れた。文字どおり地球の裏側の人の考えが、データ化されていさえすれば、例え街中でも手のひらの上の小さなコンピュータで手に入れることも可能になったのだ。

しかし一方で、そのことが今の社会に生きる人たちの情報が、あまりにも強力に処理され、人々はそれぞれ自分自身の社会への影響力というものが簡単に数値化されてしまうということにもなった。ものの考えはいくらでも伝えることはできるようになったのだけど、自分自身から紡ぎ出される自分自身の考えというものが、さして社会において重要視されなかったり、あるいは自分の意図しない無邪気な行動が多くの人からの大バッシングを呼ぶという、こんなはずじゃなかったという状況を引き起こしたりもするようになった。

神話では、プロメテウスは火だけではなく、文字や数字を与えたとされていて、そのおかげでひどい目に遭う。またゼウスが神々よりも人間が強くなることを恐れ、災厄をもたらそうとしたりもするそうだ。

技術というのは諸刃の剣であって、それ自体は無色透明で、文字や炎もそうであるように使い方を誤ると災厄をもたらすもの。

しかし一度得た技術は、後戻りをすることなく、日々進歩を重ねられていく。あるいは何かのきっかけで文明が退化するということもあるのかもしれないけれど、結局は、進歩をさらに進め、よく理解して、きちんと向き合ってうまいこと使いこなしていく、というのが最善の回答じゃないかと思った。

2014年1月1日水曜日

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうごさいます。
今年も家族で初詣に築地本願寺へ。

帰りに有楽町まで皆で歩くことに。

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銀座と日の丸と。
周りはブランドショップがたくさんある。

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歌舞伎座。昨年は工事していたのだけど、きれいになってさらにオフィスビルもすごいのが建った。


・・2014年。昨年末に見てきた遷宮後の伊勢神宮を見てみたり、最新の新幹線に乗ってみて感じるものがあった。

その中で人の仕事の本質は「神事」なんじゃないかなと思ったのね。

日本人は自然と調和して農作業や漁業、あるいはサービス業に従事してきたわけだけど、そこには連綿と続く連続性と自然との関わり合いや、時に村社会とも批判されるチーム作業が存在してきた。で、そこにはそれなりの美学が存在し、必要とされたんじゃないかと。

例えば、仕事に関する知恵やノウハウを大事に継承することもそうだし、いわゆる一時の金儲け主義、あるいは逆に吝嗇に陥らず、長期的な視点に立って、適切なところには適切なコストをかけることができるというのもひとつの美しさかなと。

そんなわけで今年はそんな色々と美しさを念頭において考えてみたいと思う。