2015年5月16日土曜日

健康作りはPCの環境設定のように…

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同じスペックのパソコンを買っても、快適な環境を構築している人と、なんだか重たい環境でマウスやキーボードに当たり散らす人がいるのだけど、同じハードウェアを使っているはずなのに、どうしてこういう違いが出るのだろう?

その理由は、簡単に言うと、重たい、あるいは使いにくいは余計なプログラムやデータをインストールし過ぎているからなのである。その本来なら不必要であっても、なんかそのプログラムやデータを入れることでさらにシステムが強化されるような錯覚に陥っているからだ。つまり、ユーザーの意識(こうしようという気持ち)がシステムに反映している。
大事なことは、リソース、つまりCPUやメモリなどなどは有限だ、ということに気がつくことじゃないだろうか。すると、取捨選択をして、不必要なものについては捨てる、というプロセスが重要になる。

プロセッサーの能力を超えた課題を与え続けると、システムは破綻する。
同じように身体についても同じことが言える。人間の身体も単純に言って、処理能力には自ずから限界がある。だから、食べ過ぎ、やり過ぎには限界があって、それを超えるとシステムが破綻してしまう。病気になる。栄養分の取り過ぎによる生活習慣病や、情報の取り過ぎによる精神疾患は、まずはそこが原因である
よって、その「取り過ぎ」をどうやって避けるかが、実は重要な課題である。

PC設定や健康や精神だけではない。家の中に使いもしない不要なものを溜め込んだりするのも良くない。モノがあふれて身動きが取れなくなることもある。

これらモノや情報をたくさん持っていれば豊かになるという発想は、これまで人類が何万年もモノ不足の中で生きてきた遺産であって、それを所有するより得ること自体が大変で、一方、所有コストに関してあまり考えなくても良いという長い長い時代の歴史の名残である。しかし、この爆発的に進む世の中にあっては、自分にとって必要か不必要かもわからないようなモノや情報があふれ始めている。それを処理するためのコストが、無視できないところか破綻の原因になるところまで来た時代にさしかかってきてはいないだろうか。

特に情報と食べ物(カロリー)に関しては、この処理コストは考えてみれば馬鹿にならないスピードで増えていて、一方でそれを維持、管理、あるいは処理するプロセッサーとしての人間の身体というのは昔の処理能力のままなのだから、廃棄することを意図的に考えていかないと、色々な部分で破綻の原因にすらなり得る。
ちょうど、太りすぎて糖尿病になって身体の一部が腐ってきたりするような…、とにかく入ってくるモノを処理する能力を上げるか、入ってくるモノを制限するか、入ってきたものを取捨選択して捨てていくか、いずれかの選択を要求されるだろう。
ならば、取捨選択能力を鍛えて、自らの処理能力内で必要かつ最も価値の高く日々の過ごし方って何だろうか?と自らに問うのは悪くない習慣じゃないだろうか。

…それでもなお、ご飯を食べずに廃棄するって抵抗あるけどね。