2012年3月10日土曜日

王への道

あるブログを読んでいたら、あるアニメのことが書いてあって、「王は、どうあるべきか」という論争が、その話中であったのだという。

「王は民のためにある」という一方に対して、「王は、羨望を受ける立場にならなければいけない」という反論があって、その理由は、要は「王は、民のロールモデルにならないといけないから」というものである。

社会のレベルが低い間は、暗愚の王は民から搾取し、民のために働く王が尊いとされていたが、実は、それだけでは足らないのであって、民はその王の庇護の中で安住してしまう。

従って、王というのは「オレもああいう王になりたい」と、民に刺激を与える存在でなければならない、そうすることで人々の間に目標が生まれ、結果としてその国は富むと言うことになる。そのためには、時にある程度の贅沢も必要となる。

但し、それは「浪費」ではなく、人々の憧れになるようなものでなければならない。

国力とは、民の力を結集した場合、どれぐらいの力を持つかということだから、人を感化する能力というやつが、実は、王に最も必要とされる能力なのかもしれない。