2013年8月24日土曜日

組織づくりについて考える


よく「老・壮・青」といわれるように、色んな世代の人間を集めて組織を作った方がいい(確か、日本新党結党時の細川さんがそんなことを言っていた)というのだけど、実際、職場みたいなところで、色んな年代の人間がいるというときに、その中でじゃあ、プロジェクトチームを作ろうぜ、という話になったら、実際、その考え方は結果にプラスに働くのだろうか。
おそらく世代を超えた人たちが結集することで、柔軟な発想ができるという話なのだろうけれども。

自分が思うに、社会を見ていると、世代交代をする度に、どうも人々のコミュニケーションは、若い人になるほど「細切り」化されているような気がする。これはどういうことかというと、おそらくコミュニケーションツールの発展によって、人間関係のあり方が徐々に変わっていることが原因だと思う。

「呼んで、合って、挨拶して、内容を伝えて、よろしく的な挨拶をして、別れる」までの流れが、特にお年寄りの時代には、その人の家(あるいは職場)に行って、いろいろ顔を合わせて話すしかなかった時代から、最近のスマホのLINEのように、チャットよろしく1行メッセージを送り会う的な時代になるまでに、実に急激に変化していることが原因だろう。

1.その人のところに行って会う、2.誰かに電話をするとき、取り次いでもらっていないかもしれない人に何かを言う3.メールを送って時間のあるときに返信をしてもらう、4.常につながっているような形でちょっと声をかけるぐらいにメッセージを送りあう、という形に社会のコミュニケーションの形態は進んでいるようなのだけれども、この数字が小さいほどに話の内容は濃密に、かつ長く、時間を取ってもらうことに対して礼儀が必要になっていく。一方で、いつでも好きなときに誰かのメッセージを受けられるようになると、今度は気軽に、言いたいことを要点だけ送り、余計な礼儀が装飾品のように邪魔になり、やりとりの回数が親密さをもたらすようになる。

こういった文化的ギャップのあるメンバーがひとつの組織に一緒くたになると、お互いがお互いの文化になじめず、ひとつのチームを作って交流する、ということがむずかしくなるような感じなのだ。

確かに色んな世代が一緒にいて、その中で濃密なコミュニケーションができるというのはプラス面が多いのかもしれないけれども、このプラス面を発揮させるには、そのチームを構成するメンバーが共有できるコミュニケーションのプラットフォーム、あるいは文化、を確立する必要があると思うのだが、お年寄りは「私は機械が苦手だ」と言って情報共有の機械化(高度化)を阻害するし、若者は「つか、無駄な挨拶とかぶっちゃけ面倒じゃね?」という社会性のなさを発揮して炎上の原因になるしで、皆が協力して大きな仕事を成すためには、まずメンバー選びから慎重にやんなきゃダメだな、と思った次第なのでありました。

ちなみに、老・壮・青で組んだはずの日本新党は、その後、数年を待たずに瓦解し、新進党の前身になりました(苦笑)