2012年3月21日水曜日

政治家のブログを読む。

たまに政治家のブログをチェックしてる。
なかなか本音らしきものが書いてあっておもしろいよ。

かつて「夫」とキーワードを入れると「死んでほしい」という検索サジェストをしていたGoogle様によれば、「渡辺喜美」と入れると、「売国」の検索サジェストが出てくる政治家、渡辺喜美先生のヨッシー日記を、今日はチェックしてみよう。

2012年2月29日のブログによると、

大阪W選の直前、橋下“スキャンダル”報道の先鞭をつけた新潮45が相変わらず、反橋下キャンペーンをやっている。佐伯啓思京大教授の「『橋下現象』のイヤな感じ」がその代表格。

 佐伯氏いわく。「橋下氏を変革の救世主としたい気持ちもわからないではない。しかし、それは一歩間違えば、・・・ハーメルンの笛吹き男に導かれて水中へ沈んでゆくネズミの群れになりかねません。」

 この類の感情的独裁者排除論が後を絶たない。しかし。佐伯氏自身がカール・シュミットの言葉を解説しているように、「危機の時代」には期限付きの「委任独裁」者が、敵と友を峻別し、重要事項を決断しなければならない。

確かにそうなんだけど、最近、僕は橋下さんの行動には、結構、疑問なのだよね。

(民主主義なんだから)「決めたことはやれよ」、と、要約すればその一言で強権をふるう橋下さん。確かにこの高い支持率っていうのは、根拠のないことばかりではない。だらけた公務員、社会のみんなが苦労しているのに、大して仕事していないのに高給を取っているのだという。(人によると思うけど。)

彼を、独裁者ヒトラーになぞらえるその理由のひとつには、悪者(ここではユダヤ人の代わりに地方公務員)に正々堂々と戦いを挑む、というやり方が、社会の人たちの共感を強く生むからだろうとおもう。

その共感のベースには、元々タレントだったこともあって、やはりテレビなどのマスコミが後押ししていることが大きい。いかにも自分のことしか考えていないような、特別にアタマの悪そうな公務員を連れてきて、橋下さんに対して自分勝手な論理を言わせてみせる。いかにもな悪役。みんなびっくり。役所ってこんなに腐っているのか。で、それに対して完全と立ち向かう橋下さんのヒーローっぽさがウケる。

しかし、この仕事してる感じはテレビで作られた虚像のような気がしてきた。彼が、社会のためにがんばっているのか、だんだんちょっと(?)な感じがしてきたから。

それは、例の国歌のくちパクチェック問題とか、あるいは公務員の政治活動や思想信条の調査問題みたいなもののため。このような、いくらなんでも日本人の民主主義の根幹にまで手を突っ込んでくるやり方は、ちょっと行き過ぎだと思うからだ。

政治家や行政が、心の問題にまで手を突っ込むのはまずいと思うよ。
人々が自由意志が持てない社会では、民主主義は維持できないと思うんだ。

彼への支持というのは、地方公務員への怒りとか、昨今の政治そのものへのおかしな部分に対する、一般社会の人たちの怒りが具現化したものであるから、それはまあ仕方のない部分もあるかと思うのだけど、この勢いで一般人に対して妙な法律とか作られたらたまらないからね。

追記:
わかりにくいみたいだから、追加しておくけど、要するに、「感情的独裁者排除論」とあるけれども、そもそも、彼への支持の多くが、メディアの作った実像のような一部の虚像に基づいた、「感情的独裁者待望論」によるものなのではないか?ということ。もちろん、理性に基づいて橋下さんを支持している人はいっぱいいるけれども、彼の行動と決定には、その理性に疑問符を持たせる行動が、最近、多くないか?ということです。
追記、ここまで。 


というわけで、理屈の方は共産党の先生にお任せしよう。

・・ヨッシー日記に戻る。

 野田氏の尊敬する政治家は、浅沼稲次郎、ジョン・F・ケネディ、大平正芳と非業の死をとげた人ばかり。「男子の本壊」風“滅びの美学”は、旧大蔵省のDNAだ。

これ、ホンネだよね。たぶん。こっちの方は、いったい何が言いたいのかな?