2012年3月24日土曜日

小説を読むのは何のため?

(昔、mixiに書いたもの、に追記しています。)

自分は小学生の頃からよく本屋に入り浸っていた。図書館でないところがミソ。中学生、高校生となり。趣味は何?と言われて「本屋で立ち読み」と答えるイケてない高校生だった。

しかし、小説というのはほとんど読まず、もっぱらノンフィクション系が好きだった。その当時は、「人が考えたウソ世界の話を苦労して読んで何が楽しいのか」と本気で考えていたからだ。本当にあった事件や、研究者が長年かけて研究した成果や、歴史上のことなどが書いてある本に比べて、小説やエッセイと いう奴は、やっぱりワンランク落ちるよなあと本気で思っていたのだ。ある作品に出会うまでは。

その名は銀河英雄伝説。これはハンパなくおもしろかった。ストーリーも壮大だったし、その作品世界と登場人物数、戦略や戦術という要素もありながら、特に小説の特徴的なおもしろさと言えば、登場人物同士の「掛け合い」にあるだろう。特にこの作品には外交の場面がよく出てくる。

で、外交における会話というのは、一種のチェスゲームのような物だ。言葉を吐いたら取り返しは付かない。限られた情報を相手に与え、相手の立場と考え方、お互いが自分の利得のために、相手にメリットを示して自分の意図を飲ませ合うという戦い。その名人戦の対局を眺めているようなそんな気分になる。

そんな交渉場面の解説や応用編なんかの紹介もある。銀河英雄伝説にこんな感じのものがある。ちょっとどこの場面が忘れた&ネタバレ禁止のため、ざっと思い出しながら+アレンジバージョンなのを勘弁して欲しい。

ある教師が生徒を成績をなじるのに、「君は本当に勉強をしているのかね」と尋ねる。もし生徒が「している」と答えれば「勉強していてこの結果なら、もう勉強する意味はないだろう。もう学校を辞めてしまえ」と言い、「していない」と言えば「どうして勉強しないんだ。やる気がないなら、もう学校を辞めてしまえ」と言う。
どっちにしても「学校を辞めろ」を言って、いじめることができるわけである。

このパターンは会社に通うサラリーマンなら、自分の思うような成績が上がらない上司が部下をなじるのと同じだと気づくだろう。

で、この作品では「やってはいましたが、努力が足りませんでした」と言えばいい、と教えてくれる。

そうすると、少なくとも辞めてしまえとは言われない。もっと頑張らなきゃダメだぞというところだ。それどころか、言外に指導力不足を指摘すること もできる。つまり、やらないといけないとは思っていたが、努力する気が(あなたのせいで)あんまり出ませんでした。という意味合いの。

まあ、ここまで追い詰められる前に成績を上げる必要はあるわけだけど、何かの拍子に他人からなじられそうになることはよくあることだ。そんな色んな状況に対して、小説における掛け合いというやつは、会話における戦略論に色々な示唆を与えてくれるものだ。

仕事もそうだし、会話においても一種の「見える化」が必要じゃないかと思う。よく「みんな自分勝手で欲張りばっかりだ」と鬱になる人は多いけれども、逆に考えれば、そもそも人間っていうのは、欲張りで自分勝手で自分のことしか考えないから、逆にその行動を読みやすいと考えた方が気が楽だ。

また人間というのは、どんな人でも、自分の発言が誰かに影響を与えるだろうという予想のもとに発言をするものだが、普通に誰かと仲良く暮らしているだけなら、言葉を発するということそれ自体は、共感の道具ということで済む。しかし、利害が絡む事象においては、交渉の道具に変質してしまうことだってある。

困るのは、こちらが共感の道具としてのつもりで、冗談や軽く発してしまった発言が、意外に相手の心情に届きすぎ、期せずして「交渉モード」に入ることがあること。

口は災いのもとだね。便利な道具は、便利な分だけ、取り扱い注意。


おまけ: