2012年3月29日木曜日

合理的な豚さんたち

豚出沒注意
Via Flickr:豚出沒注意 by infilmity


 ゲーム理論の本を読むと、「合理的な豚」の話が出てくる。

「檻の中に大きな豚と小さな豚がいる。エサ箱は2頭のすぐ近くにあるが、蓋がしまっている。この蓋を開けるには、遠くにあるスイッチを押さなければならない・・・。大きい豚は、小さい豚に比べて食べるのも早く走るのも速い。」

結局のところ、力の強い大きな豚がエサのスイッチを押して、小さな豚がそのエサを食べる。

そして大きな豚が押しのけ、残りのエサを食べる、ということに、実際なるそうだ。

ここの事象だけ見ると、まるで小さい豚に操られているかのように、強い立場であるはずの大きい豚が檻の中で走り回る状況になる。

これは小さい豚がスイッチを押してエサを出して、大きな豚にエサを食べられて横取りされてもどうしようもないから、何もしないで大きな豚がスイッチを押してくれるのをエサが出るところで待っているのが、小さい豚にとっての「最適反応戦略」だから、に他ならない。

翻って、いろんな職場の話。組織を動かそうと思えば、すべての案件について皆が協力して仕事を進めていくのが良い、それは当たり前のことだけれども、実は仕事場の皆は「最小の苦労で最大の給与(等)をもらう」ということを狙っている。

ここで気がつくのは、職場のトップをはじめとする人たちと、単にサラリーマンをしてる社員が二種類いたとして、単純に個人の仕事における能力の差を単純に比較してみることの意味、そして、その動きの観察である。

実際に会社を経営している人間と、単にそこで雇われているサラリーマンとを比較してみれば、仕事に対する情熱、あるいは単純にその能力、等々を比較しても、おそらく会社を経営している側の人間の方が能力は高いだろうと思われる。

だからこそ、経営層として抜擢されるということもあるわけだが、この二種類の人間、つまり経営する人間と、命令を受けて経営される人間(集団)は、そのまま「合理的な豚」のような形の関係性にあると言えるのではないだろうか?と思える。

資金繰りに奔走するなどのツライ目に遭う会社の偉い人たちと、一方で言われたことを、なんとかこなすレベルで毎日を送る下っ端サラリーマン。偉い人の地位を占めるの人間は、時にパワハラまがいのことをやって、何とか日々の経営を維持している。

一方、雇われた側は、好きでもない仕事を権力的に押しつけられて毎日にうんざりさを感じながらも、自分で経営をする能力もなく、仕方なく組織の一員として日々の生活を維持する。

どちらも楽じゃない仕事はイヤだと思いつつも、この大小の豚が入った檻の中のフタとエサの関係性を巡って、似たようなパターンの動きを全力で行いながら、毎回、結果は似たようなパターンとなり、また次の日も似たようなパターンの日常が始まる。

大きな豚は、小さな豚のために懸命に走り回り、小さな豚は、自分の力のなさ故に横暴な大きな豚に(精神的にも)蹴散らされるという、その毎日をね。



※今日はなんかシニカルに、まとめてみました(´∀`)