2015年1月3日土曜日

2015年 あけましておめでとうございます。

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雑司が谷の大鳥神社

 さて、お正月に書くべきことは「今年の抱負」だろうと思うので、それを考えてみよう。

2014年は、平均して見れば、なかなかに良い年だったと思うのだけど、一方で課題もあった。本当に早い毎日でもあって。手術もしたし、仕事ももちろんがんばったし、引越もした、ひとつの区切りになる年ではあったのですよ。
まあ、仕事ができて、ご飯を食べるだけなら、このままでも良いのだけど、それだけじゃいけないな、なんて思う日常が、今年の後半だった。

そんなモヤモヤしてた今年の後半、最後の12月に友人たちと約束してた旅行に出かけたのが、広島だったのだけど、やっぱり普段と違う場所で違う行動に出る、というのは色々と発想や気分転換になった。
前回のお正月のキーワードが「仕事は神事」であるならば、今年のお正月のキーワードは「練度というパラメーター」じゃないかと思う。

広島から呉に向かって、色々と見て回ってまず思ったことは、この日本の歴史においては、今も連綿と明治以来続く、日清、日露、そして太平洋戦争、高度成長期に流れる歴史が一本の線なんだなっていうこと。
今僕らが生きている日本の社会っていうのは、1945年に焼け野原からスタートしているような、それ以前の記憶を無理矢理に忘れようとしているようにも見えるけど、今、豊かなこの社会の実現がいきなりできたわけではなくて、それ以前にあった人々が持っていた、高い練度が実現させていると思うのだよね。

それはつまり、いみじくも日本の発展を支えたのが、戦前までに培った戦争のためのテクノロジーやロジスティックスなど、さまざま能力を継承したこと。呉に行って大和ミュージアムに行くと、いかに戦艦大和の建造技術がその後の造船業や重化学工業の礎になっていったかがわかるし、自動車も、カメラも、Made in Japanを支えたのは、明治以来、戦争に鍛えられた技術の数々であったりする。あとは戦争技術ではないけど、新幹線技術だって、その源流は満州における特急あじあ号にあったりもするよね。

戦争が起こるから科学が発展する、という説を、たまに言う人もいるのだけど、もちろんそれはおかしくて、例えば広島に原爆が落とされなければ20万人以上の人々が死なないで済んだ。もし、それによって亡くなられた人たちが生き続けていたら、もっとさらに今よりもその分だけ進んだ社会を実現できたはずだからね。この政治的、軍事的な失敗によって、きっと多くの天才をも失ってしまったと思うよ。

この社会において、豊かに暮らそうと思えば、富を生み出さなければならないのだけど、その富は高い練度、つまり理論と実践とそれによって培われた高い経験値、から生まれる。
今、社会は経済成長をさせるためにアベノミクスで大胆な金融緩和をやっているのだけど、この政策では簡単には景気は上昇しないと思う。実はお金は社会の発展には二次的な要素でしかないから。人が動くにはカネが必要だけれども、カネをかけて何かをするという計画、あるいはカネをかければできるっていう投資対象物(ヒトやモノ)がいなければ、かけたカネが無駄になるから、結局、投資や発展には向かわない。物価が上昇する分、中間コストの圧縮とか、ロジスティックスの効率化は進むかもしれないけどね。

今の技術だと、いくらお金をかけても、どこでもドアやタケコプターは作れない。
景気が良くなるとすれば、社会が次の段階に移行する時に良くなると思うんだ。

いずれにしても、少しでも練度を高めて、社会に貢献するとともに、自己実現を図る。結局は抱負というか目標はそこに行き着くわけだけれども、まずはカラダとアタマをめいっぱい使い切る、ということを目標にしたいと思った。

望むべくは、そこで新しい何かに出会えるといいな。